親鸞さまに学ぶ

親鸞聖人の言葉を味わいます

真(まこと)のよろこび

 

 

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親鸞聖人の言葉

 

【和讃(わさん)】

南無阿弥陀仏を となふれば
十方無量の 諸仏は
百重千重 囲繞(いにょう)して
よろこびまもり たまふなり
 

【語句】

囲繞(いにょう):とりかこむこと。

現世(げんぜ):現在。この世のいのちが尽きるまで。

 

【意訳】
阿弥陀仏の願いを聞いて、信じ喜び、 
南無阿弥陀仏を称えれば、
十方世界の数限りない諸仏は、
百重にも千重にも、とりかこんで、
喜んでお護りくださいます。

 

【味わい】

浄土和讃のなかの現世利益(げんぜりやく)讃の言葉です。

15首和讃の末尾ですが、以前は現世利益ということが、あまり納得できませんでした。自分の欲望を満たすという、どちらかといえば低俗なことを想像していたからです。

 

しかし、徐々に意識が変わってきました。功徳も利益も真実という言葉がつけば、真実の功徳、真実の利益と言い表します。それは、私が欲望の心で求めて得たものではなく、所有できるものでもありません。阿弥陀さまから、分けへだてなく平等に与えられている利益です。15首和讃の結論かもしれません。

 

浄土に往き生まれることが定まった仲間に参加し、諸仏に褒められ、よろこび護られて無碍の一道を歩むこと以上の利益(りやく)はないでしょう。しかも、浄土に生まれたときに、自身が諸仏の仲間に加わります。現世の利益は、浄土に生まれた後の利益につながっていることを示しています。

 

そして、その先には、迷いの世界に還って衆生を救う「衆生利益」までつながっています。真実の利益が意味するのは、信心が定まったとき、諸々の衆生と共に「衆生利益」にまでつながる道を一歩踏み出すことになる、その利益すべてが阿弥陀さまからあたえられたものだということです。

 

自身を振り返ってみれば、周りの人に褒められたいという意識が強いように思います。自己承認要求というのか、常に周りの評価を気にしていました。現にこの文章を書いている時でさえ、どのような人から、どのように比較・評価されるのか考えると不安になります。

 

世間の評価には毀誉褒貶(きよほうへん)があります。

 

そんな時、人の評価はどうであれ、諸仏に褒められ、よろこび護られることに真のよろこびを見出すことができたら、世間の評価も絶対的なものではないと思えてきます。

 

世間に褒められるより諸仏に褒められるような人でありたい。阿弥陀さまとともに確かな道を歩みたいものです。

 

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