親鸞さまに学ぶ

親鸞聖人の言葉を味わいます

私は 今 どう生きるのか

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親鸞さまの生き方に学ぶ



法然さまとの出会い
人との出会いはとても大切です。親鸞さまは29歳のとき、生涯忘れることのできない人と出会いました。法然さまというお方です。
 
法然さまは69歳でしたが、40歳も年下の親鸞さまに、やさしく語りかけられました。親鸞さまは、法然さまの言葉を一言も聞きもらさないように、真剣に百日の間、聞き続けられました。
 
35歳でお別れになった後も、深く法然さまを慕われて、法然さまの行かれるところへは、どのようなところでも行くと語っておられます。

9歳の法然さま
法然さまは、どのようなお方だったのでしょう。生まれたのは現在の岡山県です。幼い頃の名前は勢至丸(せいしまる)といいます。父親は地方の有力者で漆間時国(うるまときくに)という人です。

勢至丸が9歳の時、荘園の管理をしていた明石定明が夜襲ってきて、父時国は勢至丸の目の前で殺されてしまいました。その時、時国は次のような遺言を残したといわれています。

私は傷つけられたら痛いと思う。人もまた同じだろう。
私はこの命を大切だと思う。人もまた同じだろう。
決して敵を怨んではならない。

もし、かたきを討つならば、怨みの息むことがないだろう。
怨みを捨てて、ともに救われる道を歩んでもらいたい。


怨みを捨ててこそ息む
 
勢至丸は父の遺言に従って出家し僧侶となりました。名前を 法然と改め、学問と修業の日々を送られました。
しかし、よく考えてみると、父の遺言の通りに生きることは、とても難しいことだったでしょう。怨み・憎しみを捨てることほど難しいことはありません。それは科学が進歩した現代でも同じことです。
どれほど多くの富を持っていても、どれほど多くの知識をもっていても、困難なことです。
法然さまは、怨み・憎しみを捨てることができるのは阿弥陀さまの心(大いなる慈悲心)によってのみであると、思われたのでしょう。
 
親鸞さまが83歳のとき書かれたお手紙のなかに、法然さまから聞いた言葉が、次のように記されています。

念仏する人を、憎んだり非難する人であっても、その人を憎んだり非難することがあってはなりません。慈しみ悲しむ心を持ちなさい。

浄土とは、憎しみのない大いなる慈悲の世界です。阿弥陀さまの名前を称え、愛と憎しみを超えた浄土に往く道を歩まれたのが、法然さまと親鸞さまです。生涯弾圧を受けられたなかで語られた方々の言葉には責任と重みがあります。

親鸞さまの心にはいつまでも、法然さまの称えるお念仏の声が響いていました。


ダンマパダ5
実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。
ブッダの「真理のことば」「感興のことば」5 岩波文庫


親鸞聖人御消息
「この念仏する人をにくみそしる人をも、にくみそしることあるべからず。あはれみをなし、かなしむこころをもつべし」とこそ、聖人(法然)は仰せごとありしか。
本願寺出版社 浄土真宗聖典(註釈版)748頁                  

この文章は正覚寺だよりNO20号に掲載したものです。

現在も世界中で戦争が絶えません。親鸞さまの言葉をかみしめたいものです。
以前、紛争地帯で難民となった人が「言葉が憎しみを生む」と言われていました。どのような言葉で考えるべきなのか。どのような言葉を使うべきなのか、どのような言葉は使うべきではないのか。よく考えなければならないと思います。

親鸞さまは言葉を非常に大事にされて、一言一句言葉を慎重に選ばれました。自分自身が救いや教えの主体とならないように、阿弥陀さまやお釈迦さまが主体となるような文言になっています。また、ご自身の言葉に責任をもたれました。SNS等で責任のない言葉が多用されている今、私自身も含めて言葉に責任を持たなければならないと自戒しています。

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