普遍的な人間関係とは
普遍的な人間関係とは
ー現代に生きる親鸞聖人の言葉ー
親鸞聖人御消息第3通を味わう
■お手紙(御消息)
親鸞聖人のお手紙(御消息)は現在43通が残されています。聖人が関東から京都に帰られたあと、79歳から90歳で御往生されるまでに関東各地の門弟に書かれたものです。
数年前からお手紙の原文を少しずつ読み解いていますが、私自身が聖人からいただいたお手紙だと思って、味わっています。内容が深く一語一語の意味を調べながら読み解くのにはとても時間がかかります。
今回紹介するお手紙は80歳ごろに書かれたもので、普遍的な人間関係である同朋ということについて記されています。門弟とは同門の弟子ということで、聖人の弟子という意味ではなく、同じ法然聖人の弟子、あるいは同じお釈迦さまの仏弟子ということです。親鸞聖人から言えば門弟は、同じ仲間である同朋(どうぼう)という関係になります。
欲望と衝動の本能にまかせて生きようとすれば、人間関係で対立が生じ争いになります。阿弥陀如来の願いを依り処として、お互いに対立するのではなく、敬いあう人間関係を実現しようとするのが御同朋(おんどうぼう)です。
■お手紙の意訳
▶このたび明教房(みょうきょうぼう)が京都に来られたことは、本当にありがたいことと思っております。明法の御房(おんぼう)が御往生(ごおうじょう)されたことを、直接お聞きしたのも、うれしいことです。また、みなさんのお志もありがたく思っております。
▶いずれにしても、人々が京都に来られることは、何とも思いがけなくうれしいことです。この手紙をどなたにも、同じように読み聞かせていただきたいと思います。
茨城の北部におられる同朋(どうぼう)のみなさんで、等しくご覧になってください。謹んで申しあげます。
▶長い間お念仏を称えて、浄土に往き生まれることを欣(ねが)うしるしには、いままでの、悪かった自分の心を思いかえして、一人一人が、お互いの人間関係のなかで、友や同朋とも、それぞれのいのちを尊重し、敬いあう心がおありになってこそ、この世のなかを、悲しみ厭(いと)うしるしであろうと思います。
よくよくお考えになってください。
■お手紙を味わう
すべてのをお手紙に通じて言えるのは、聖人は言葉を非常に大切にされているということです。丁寧語や尊敬語を用いた細やかな心配りのあるお手紙で、門弟を一人の尊厳ある人として敬う文言で綴(つづ)られています。
従って書かれている内容はもちろんですが、文体そのものが同朋(どうぼう)ということを具現した文章になっています。教訓めいた言葉は書かれていまん。
この文章から、聖人が日常の暮らしのなかでも周囲を人を敬い、丁寧な振る舞いで接しておられたことが想像できます。
聖人が老若男女の門弟から敬われたのは、まず聖人自身が門弟を敬われたからでしょう。
さらに言えるのは、仏教では身口意(しんくい)の三業(さんごう)といい、意(こころ)で思うことも行為として考えるので、どのような言葉で考えるのかも問題となります。
意(こころ)で考えた丁寧な言葉が文字や言葉となり、身の振る舞いともなって現れてくるのですから、言葉で考えるときにも慎重にならざるを得ません。
阿弥陀如来の願いを聞く前と、聞き始めたとき、そして聞くようになって久しくなったときには、私たち自身のありように少しずつ変化が生じてくることも記されています。
どのように多くの仏教の知識を得たとしても、その変化が生じてこないようであれば、教えに学んだことにはならないということになります。
親鸞聖人のお手紙を読むとき、自分自身の生き方が、とても恥ずかしく思えてきます。親鸞聖人のお言葉に学ぶと、自分中心の人間関係のありようが、深く問われてきます。
欲望と衝動にまかせて、本能のまま生きたいというのが誤魔化しようのない、私たち凡夫の本性であることが、あきらかになるにつれて、自分の心にまかせるのではなく、阿弥陀仏の心にまかせて、生きようと願うようになります。
衝動的な単語が拡散すると、社会の分断を生むこともあります。今一度聖人の言葉に学び、丁寧な言葉を用いて、お互いにつながりあった普遍的な人間関係を構築する機縁にしたいものです。
■原文語句の意味(一)
ー丁寧語・尊敬語ー
⦿御(おん)
尊敬の意を付け加える言葉。
⦿候ふ(候う)
丁寧語
聞き手を敬う意をそえる。~でござ います。~ます。~です。
⦿おはし・ます(御座します)
尊敬語。「おはす」より敬意が強い。
いらっしゃる。おいでになる。おあり になる。
⦿おはし・まし・あふ
尊敬語。いらっしゃる。おいでにな る。「あふ」は複数のものの動作をしめすので主語は複数となる。お互いに ~する。
■原文語句の意味(二)
⦿いとふ
厭う。厭い捨てる。遠離・離れ遠ざかること。捨てようとすること。
⦿しるし
徴・験・標・印・証。目じるし
他とはっきり違っていて、間違えることのないようすをいう。
⦿(おはしまし)あふ
主語が複数になっているので、個人の心の問題ではなく、私たちお互いの人間関係が問われる内容となっています。
⦿あしかりしわがこころ
法律や倫理道徳ではなく仏教で問われる悪。欲望と衝動にまかせて自分中心の行為をしながら、恥ずかしいと思うことがない放逸無慚(ほういつむざん)のこと。
⦿おもひかえす
思い返す。ひるがえす。回心(えしん)ともいいます。阿弥陀如来の願いに遇(あ)うと自分中心の人間関係のありようが恥ずかしくなり、自ずと恥ずかしくない生き方を求めるようになります。
⦿しるし
生き方や人間関係が変化して、その証しがあるようになるということ。
⦿ねんごろ(懇ろ)
お互いに親しみあい、懇切丁寧な人 間関係のこと(御同朋)。
⦿御同朋(おんどうぼう)
対立することのない普遍的な人間関係。対等で平等。生きとし生くるものすべてが、お互いにつながりあって敬いあう関係。自害害彼(じがいがいひ)ではなく、自利利他(じりりた)の関係を目指すなかま。
親鸞聖人が関東におられたときに拠点となったところ。稲田を中心に半径40㎞の範囲に多くの門弟が散在していたということです。また稲田で教行信証を著述されました。