親鸞さまに学ぶ

親鸞聖人の言葉を味わいます

教行信証(きょうぎょうしんしょう)を拝して

京都国立博物館

特別展『図録』

教行信証を拝して

お念仏を称えながら今年1年を振り返ってとくに印象に残ったことは、京都国立博物館で開催された、
親鸞聖人生誕850年特別展『親鸞 生涯と名宝』で、
教行信証の坂東本(国宝)、高田本(重要文化財)、西本願寺本重要文化財)を見たことです。

教行信証3本が同時に展示されたことは、今までにはありませんでした。坂東本を見たのは2回目で高田本、西本願寺本は初めてです。

坂東本は御直筆の草稿本ですから未完成で、墨で加筆訂正した箇所が実に多くあり、どのような思索を経て執筆されたのが、そのご苦労の過程を偲ぶことができる大切な聖教です。

今回の展示では化身土文類を直接見ることができとても感動しました。購入した『図録』を見ながら今ふり返っていますが、展示では見ることのできなかった、行文類の正信念仏偈を見ると多くの箇所が墨で訂正されています。特に「獲信見敬大慶喜」は大きく墨で塗りつぶされています。何度も加筆訂正されたのでしょう。

1224(元仁元)年52歳のときには、草稿本はほぼできていたといわれており、75歳のころには門弟に書写を許されていますが、「獲信見敬大慶喜」の部分は86歳以降に加筆訂正されたようです。そう考えると正信念仏偈は生涯をかけて私たちに遺してくださった、本願念仏のうただといえます。

また教行信証坂東本を見ると、親鸞さまは一字一字、一語一語をいかに大切にされたのかよく分かります。

文字だけではなく、人に対して言う言葉にも、言うべきではない言葉があり、心の内に思う言葉にも、思うべきではない言葉があるとお考えになっていたのでしょう。そして自分の文字や言葉には責任を持たれました。

門弟に対しても極めて丁寧な言葉で語りかけられたのだろうと思います。門弟に書かれたお手紙を読めばよくわかります。

いま私自身が問われているのは、自らの文字や言葉に責任を持てるのかということです。そして文字や言葉の背景にある私たち自身の生き方や、人間関係のあり方も問われてきます。800年前に著された教行信証現代社会のありようが問われているのです。

親鸞さまの場合は、生涯お念仏を称えて生きられましたが、それが結果として言葉や文字、生き方として顕れてきたのだろうと思います。そう味わうと教行信証親鸞さまの生き方を顕す聖教だともいえます。

京都国立博物館特別展では鏡の御影(国宝)も見ることができました。これも2回目です。親鸞さま70歳のころの御影だと言われています。恵信尼さま・覚信尼さまもこの御影をご覧になった可能性があります。

特別展は正信念仏偈を具現化した展示形式でした。そしてなにより大切なことは名号で始まり名号で終わっていたということです。

特別展『図録』は販売終了となっており新書を手に入れるのは難しい状況です。今一度、『図録』に目を通して、立教開宗の意味を考えるとともに、なぜ教行信証を著されたのかをしずかに聞思したいと思います。

末法五濁(まっぽうごじょく)の世に生きる
苦悩の群萌(ぐんもう)を拯(すく)う教え
南無阿弥陀仏
2023年12月9日

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